山本の園芸、植木の歴史
山本の園芸、植木の歴史は古く、平安期にはじまり千年を経ます。数百年を遡り、木接太夫の出現による接木法則の発見は、ひとり山本の園芸のみならず、わが国園芸史上に金字塔をうちたてたものといえましょう。
この接木法の開発は、徳川時代にはいって、牡丹の生産につながり、また一方、山林苗として、杉、桧などが栽培されてきました。明治時代にはいり蘭、バラなども栽培されるようになり、大正時代には庭園樹もひろくつくられるようになって、大きい発展をとげました。
さらに昭和の初期には、園芸の品種は海外から集められ、飛躍的な進歩を示し、たいていの新しい品種は山本地区で試作され、商品化に成功、通信販売によって全国に売り出されました。一方造園も需要がおおくなり、各業種別の組合も生まれ、植木市、品評会も開かれ、海外の輸出入も盛んとなり、全盛期をむかえました。
戦争で壊滅状態になった山本の園芸は、再び不死鳥のごとく復活。戦前以上の盛況をていし、今日にいたりましたが、数年前山本、丸橋、口谷の三区を統合した山本粽合園芸組合が設立され、さらに新しい植木、園芸の発展を目指し、組合員業者は日々生産、販売の業に励んでいます。